「少女漫画」と「性暴力」に付いてのメモ

鳥飼茜の『先生の白い嘘』を読んで「性暴力」を扱った作品っていうつながりから、萩尾望都の『残酷な神が支配する』の事を思い出して、

ずっと、なぜ萩尾望都が「少年」を主人公にしないと『性暴力』を描けなかったのか考えていたのだけど、

ようやく理由がわかったように思う。

 

彼女が『少女マンガ家』だったからだ。

 

多分鳥飼茜も女性誌では『先生の白い嘘』を書けなかったんじゃないかと思う。

(女性誌でやれって言われたりしたそうだけど。)

 

少女マンガはファンタジーによって守られている。

少女マンガは少年マンガと比べて一段階強いファンタジーの中にある?

 『そんなにひどいことは起こらない』

 

もっとはっきり言えば

 

『主人公が強姦されることなどあってはならない+その危険は排除しなければならない』

 

 

「子供はコミュニティーによって大切に保護されなければならない。

この時期に「世界への信頼」を育てておく必要があるから。

子供でいる間は「実は世界は暴力で満ちている事」とか「性暴力という暴力がある事」とか知らなくていい。

子供の間は大人たちが守ることが出来るし、時期が来れば「自分で自分の身を守る為」にどうせ知っていかなければならないのだから。」

 

そういう「児童マンガ」から出発したのが日本のマンガで、

その後に出てきた「劇画」によって「暴力」や「エロス」「不条理」がマンガの世界に導入されたのだと思う(専門家じゃないので正確さに不安あり;)。

 

そもそも「バトル」がメインだった『少年マンガ』にはその影響が強く見られるけれど、

『少女漫画』にはほとんど影響が無かったように見える。

 

『少女漫画』と劇画は相性が悪い。そもそもバトルとも相性が悪い。

バトルは暴力とつながっているし、暴力は性暴力を連想させるから。

「少女マンガの世界で、主人公たる少女が破壊されることはあってはならない」

少女は特別な処置(例えば「魔法の力」とか「スーパーヒロインに変身」とか)がないと安全に戦う事が出来ない。

 

少女漫画は少年マンガと比べて一段階強いファンタジーの中にある。

 

厳密に言うと性暴力がないわけじゃないんだけど、もしあっても回避可能、もしくは、後に回復 可能という事になっている。例えばデートレイプだったら後に相手が会心して和解してハッピーエンド、とか、主人公が他人の暴力によって痛手を負ったとしても愛する相手ならばそれを癒せる、とか。

 

『 何の意味もない不条理な暴力はこの世界では起こらない。』

 

もちろんそれはファンタジーだけど、その中で、「劇画」=「不条理な暴力」を描くのは難しいんやね。