王子の持ってきた「ガラスの靴」について

「Hiwacoさんは『普通の人』とは結婚しないと思ってた。」

と、ちょっと前にある人に言われてずっと引っかかっておりました。

彼女が私が変わり者だと思ってるだけなのは理解してるのだけど、

私はこれを「あなたは『普通の女性』ではないから『普通の男性』とは結婚できない」というように聞いたわけです。

 じゃあ私にとっての「普通の男、女」って一体どんな人だ?ってはなし。

 

 

私は長らく恋人を得られずにいたのだけど、その理由が意中の相手に

「女性的なファッションやスキル、結婚や出産など」

を遠回しにでも求められると一々反発してどうしても関係を進められなかったからで。

 

「普通の男」っていうのは

「女性に対して女性的なものを求めるもの」で、

それに対応する「普通の女」は、

「男性の要求を苦労せず飲み込める人」

 

ってことなんやろか?

 

シンデレラの話の肝は妖精の魔法でも舞踏会でもなくて、

意地悪でワガママな義理の姉達に虐げられている「従順で働き者なシンデレラ」は王子の持ってきた結婚の条件である「ガラスの靴」を無理なく履くことができるってこと。(意地悪でワガママな姉達は血を流さずに「靴」を履くことができない。)

 

王子様は女の子に要求する。

しかし女の子である私の要求はどうなるんだろうか?

 

私の王子に対する要求は

「私に要求するな」

これに尽きるのだけどな。

性暴力表現に対する"女性である私"のズルさについて

最近知り合いから、私がグロ趣味、虐待、性的虐待描写のある作品を愛読していることを批判的に指摘されてしばらくそれについて考えていました。

 

性暴力表現に対する"女性である私"のズルさについて。

私はサディスティックさや他人をコントロールする事への欲望もたしかにもっていて、実際虐待者に自分を投影してフィクションを楽しむ事があるにもかかわらず、自分が『女性』でえがかれる虐待者の多くは『男性』の姿をしている事を根拠に簡単に「私は虐待者にならない」と思うことが出来ること。実際はそうとは限らないけど切断処理が容易なのだ。

そして時には「女性である自分は加害者でなく被害者側にある」…と思い込むことも出来る。そうするとそのフィクションを”サディスティックに”楽しみながらその作品を根拠に「男性の攻撃性」を非難するという奇妙なことも出来てしまう。

 
性暴力表現に敏感でなおかつその表現にさらされつづけた男性は私がやるような便利な切断処理を出来ずに「その表現を楽しむ自分」を責めたり異常だと思ったり「自分が加害者になる可能性に苦しむ」場合も結構ある…。例の「内なる加害性」ってやつね。
 
私も自分の趣味とその加害性を指摘されて、あらためて「異常なのでは」「これは改めるべきだ」等々しばらく悩んだのだけど、一応結論が出た。
 
これはよく言われることだけど、女性向けのエロ作品には「レイプ物」がとても多い。でもだからと言って多くの女性に「レイプ願望」があるわけではない。
「それぐらい強烈に求められたい」っていう欲望を表現したファンタジーだから。
同様に「虐待者」に感情移入する場合も大体において「それぐらい強烈に誰かを求めたい」っていうファンタジーなのだと思う。ちょっと大雑把だけど;まあ少なくとも私の場合はそういう理屈で説明できる(だって誰かの事をムチでしばきたいかっていうとそんなこともないもんな)。

(あと、いわゆる和姦な作品はどうも感情移入するまでがまだらっこしいのだ;侵害性が高い方が良し悪しはともかくインスタント;)

 

そもそもサディクティックさや他人をコントロールする欲望なんて多かれ少なかれみんな持っている。

作品を楽しむことと、実際その行為をすることの間には大分距離があると思うな。

…実際の犯罪とフィクションに全く関係がないとは言えないけどもね。

「劣等感」と「ナチュラルな自信」の話。

突然ですが現在妊娠中です。もう後期なのだけど若干ホルモンバランスが悪いらしく、

怖い夢を見たときや怖い想像をしてしまう前みたいにモヤモヤしています。

本当は普段から想像力を鍛えているので、ちょっとやそっとのことじゃ怖がったりしません。でも入眠がすんなり行かないのは困ります;

 

今日は誰かにしたいアドバイスって本当は自分にしたいアドバイスなんだなと考えていました。

今日ずっと考えてたのは「劣等感」のこと。

 

何か技術なりスキルなりをすんなり身につけるためにはその入口付近で

「いいぞいいぞ、私才能あるんじゃない?」

みたいなのが勘違いでもいいから必要だと思う。

当然その勘違いはそのうち覆されて「だめやん…」ってなるけど、

でも、その都度「ダメポイント」を修正してマスターすることへ近づいていくわけよね。

 

そこで外野が意識的にか無意識的にか、その人に「劣等感」を植え付けようとすることがあるなーと。理由は自分の劣等感の投影だったり、まあ色々なんだろうけど。

でも「劣等感」を持ち続けたって役にたたないし、ろくでもない。

本来跳ね返すべきものだと思う。

強力に植えつけられた「劣等感」が何か役に立つことがあるとすれば、

その人を安く買いたたきたい人に都合がいいってことぐらい。

自分に価値がないと思ってる人には言うことを聞かせやすいからね。

本当にろくでもないぜ。

 

そして「劣等感」を持たずにすんで、グイグイ自分の力を伸ばした人は

「自信満々で嫌な人」だろうかとか考えたんだけど多分それは違う。

人によってはそういう風に感じる人もいるだろうけど、自然な自信をもってる人はもっとてらいなくナチュラルだと思う。「ナチュラルな自信」を持ったら他人の感情に若干鈍感になるかもしれないけど、それはまた別の話だね。しばらくは「いいぞいいぞ」と勘違いしてやっていこうと思います。

『何かを可愛がることと、その何かが感じていることは関係ない?』

私は「コップのふちこさん」は嫌いだ。製品のコンセプト(パンチラOLによる癒し?)が嫌なのと、「彼女が何を考えてるどんな人なのか」っていうのが全然わからないから。

 

私はハムスターみたいな小動物や子犬や子猫があまり好きじゃない。

か弱さと無防備さ。事故や餌のやり忘れなんかでうっかり殺してしまったりするのが怖いし、もし彼らが虐待者にあってしまったら、なおさら簡単になぶり物にされてしまうだろうとか想像してしまうので。

それにTVなんかでもよく見る「カワイ〜!!!」の大合唱とか、大勢で一斉に構おうとするあの感じも嫌い。

私も人並みに子猫をかわいいと思うこともあるし、撫でたり遊んだりした事もあるけど「かまいたい、撫でたい」っていう欲求が先に立って「子犬や子猫の負担」を考えてないなら、それはまずいのでは?と思うので。

 

ちょっと前にたまたまAVを見せてもらう機会があった。

二人の小動物もしくは子鹿みたいな黒目がちのかわいい女の子と男優(画面にはほとんど映ってない)のでてくる3P物で、無防備な裸の女の子達が色々プレイに興じてるわけだけど、私はすぐにすっかり気持ち悪くなってしまった。

これは作品の作りの問題だと思う。女の子達はかわいいしニコニコしてるんだけど、どこか無表情で「何を考えてるのかどんな人なのか」が分からなくて、なにか意思の疎通のできない小動物とかエイリアンとセックスしているような感じがしたこと。

あと、それを見せてくれたのは私のパートナーなわけなんだけど、この人も私の事をこのAV中の彼女達と同じように、つまり性的なオブジェクトとか愛玩動物みたいに考えているのではと思ってしまったのも要因の一つだったと思う。

 

『何かを可愛がることと、その何かが感じていることは関係ない?』

 

人の無防備な姿とか表情は性別問わず「かわいい」ものだと思うのだけど、その「かわいい」とまなざす視線は双方向であってほしいなあ。

「少女漫画」と「性暴力」に付いてのメモ

鳥飼茜の『先生の白い嘘』を読んで「性暴力」を扱った作品っていうつながりから、萩尾望都の『残酷な神が支配する』の事を思い出して、

ずっと、なぜ萩尾望都が「少年」を主人公にしないと『性暴力』を描けなかったのか考えていたのだけど、

ようやく理由がわかったように思う。

 

彼女が『少女マンガ家』だったからだ。

 

多分鳥飼茜も女性誌では『先生の白い嘘』を書けなかったんじゃないかと思う。

(女性誌でやれって言われたりしたそうだけど。)

 

少女マンガはファンタジーによって守られている。

少女マンガは少年マンガと比べて一段階強いファンタジーの中にある?

 『そんなにひどいことは起こらない』

 

もっとはっきり言えば

 

『主人公が強姦されることなどあってはならない+その危険は排除しなければならない』

 

 

「子供はコミュニティーによって大切に保護されなければならない。

この時期に「世界への信頼」を育てておく必要があるから。

子供でいる間は「実は世界は暴力で満ちている事」とか「性暴力という暴力がある事」とか知らなくていい。

子供の間は大人たちが守ることが出来るし、時期が来れば「自分で自分の身を守る為」にどうせ知っていかなければならないのだから。」

 

そういう「児童マンガ」から出発したのが日本のマンガで、

その後に出てきた「劇画」によって「暴力」や「エロス」「不条理」がマンガの世界に導入されたのだと思う(専門家じゃないので正確さに不安あり;)。

 

そもそも「バトル」がメインだった『少年マンガ』にはその影響が強く見られるけれど、

『少女漫画』にはほとんど影響が無かったように見える。

 

『少女漫画』と劇画は相性が悪い。そもそもバトルとも相性が悪い。

バトルは暴力とつながっているし、暴力は性暴力を連想させるから。

「少女マンガの世界で、主人公たる少女が破壊されることはあってはならない」

少女は特別な処置(例えば「魔法の力」とか「スーパーヒロインに変身」とか)がないと安全に戦う事が出来ない。

 

少女漫画は少年マンガと比べて一段階強いファンタジーの中にある。

 

厳密に言うと性暴力がないわけじゃないんだけど、もしあっても回避可能、もしくは、後に回復 可能という事になっている。例えばデートレイプだったら後に相手が会心して和解してハッピーエンド、とか、主人公が他人の暴力によって痛手を負ったとしても愛する相手ならばそれを癒せる、とか。

 

『 何の意味もない不条理な暴力はこの世界では起こらない。』

 

もちろんそれはファンタジーだけど、その中で、「劇画」=「不条理な暴力」を描くのは難しいんやね。

インテリジェンスとラブ&ピース

この間、なんでそんな話題になったのかは忘れたけど、イルカが人間の女性をレイプして結果として溺死させてしまう事があるって話を聞いた。

イルカの世界にはレイプがある(一匹を群れで追いこんでレイプしたりするらしい)ことは知ってたから別段驚かないけど、ちょっと思ったのは知性≒想像力は危険なものなのかも知れないってこと。

想像できるってことはそれを実行できるってことやからな(ブツブツ)。

 

イルカと同じく知能の高いチンパンジーの世界にもレイプもあれば戦争もあるそうだ。

 

でもそのチンパンジーに見た目はそっくりなボノボ(旧名ピグミーチンパンジー)の世界には戦争とか殺し合いが今のところは観測されていないらしい。

そのかわりにあるのは緊張を緩和するための「疑似的な性行為」なんだそうな(彼らは異性間だけじゃなくて同性間でもそれを行う)。

つまり人間のカップルとかの「ケンカしてたのにエッチしたらなんか仲直りしちゃった~」みたいな(※)のを彼らは種族全体で利用してるわけだ。おお。

 

そんで、結局チンパンジーとボノボどっちが知能が高いんだろう、って素人考えで考えてたんだけど、

ボノボが「性行為(のようなもの)」でストレスを緩和する方法を見付けたのはすごく賢いのに、ストレスを緩和するすべを持たずにレイプや子殺しや殺し合いをしてしまうチンパンジーの方が賢いような感じがしてしまうな。

 

これは多分身贔屓っていうやつだな。チンパンジーの方が人と似てるから。

 

 

※…時々「『仲直りしちゃった~』じゃねえよ!」ってこともあるからむつかしい。